◇11月のひとこと...
  美幌町図書館フェスティバル終わる!!  9月30日(土)〜10月8日(日)
   フェスティバル期間中、初日だけで来館者数1,112人でした。また、10月8日(日)最終日、
  古本市の日には、944人でした。来館者数は、図書館に入館した方を数えますので、古本市にご来場
  いただい方のすべてを数えたわけではありません。ですから、初日の来館者の状況と古本市への来場者
  の状況を比較すると、当然、1,000人を大幅に超えており、盛会のうちに終わることができました。
   これはひとえに、皆様の温かいご理解とご協力の賜物と存じます。フェスティバル並びに古本市の開
  催に当たり、お力添えをいただきました関係者の皆様に、また、ご来場いただきました皆様に、心から
  お礼申し上げます。


  自然と人間
   雑草を目の敵のようにして格闘していた頃のことです。ある日、雑草を根こそぎ取ろうと、力いっぱ
  い鍬を地面に入れました。鍬を引き上げると、目の前にはこげ茶っぽい色の2つ細長いものが伸びたり
  縮んだりしてヒクヒク動いていました。ミミズを切断してしまったのです。ミミズがいるのであればい
  るで、ミミズが一言断ってくれれば、殺しはしなかったのですが、除草シーズンを通して5匹はあの世
  へ送ってしまいました。

   また、何の罪もない、雑草といわれる草たちは、私の目にとまったばかりに根こそぎ掘り起こされて、
  掘られた穴に投げ捨てられる運命をたどってしまいました。一生懸命生きているミミズにとっても、雑
  草といわれる草たちにとっても、私がまじめにやればやるほど、犠牲者が増していくわけです。とはい
  っても、雑草を放置したままでいたら「だらしない」とだれもが思うものです。

   私は群生したタンポポを見ると、あたり一面を黄色に染めていてきれいだなあと思ったり、心を和ま
  したりします。ですが、そのようなタンポポであっても嫌われます。

   ところで、雑草と雑草でないものとに振り分けたのは、いつの時点で、誰がどのような観点から決め
  たのか、また、草や花、木に対する美的価値を見いだし文化が確立されたのはいつなのか、などと思っ
  たりすることがあります。

   別な観点からいえば、木々が紅葉したり、黄色になったりして、落葉樹が描きだす色とりどりの景色
  を望めば、だれしもが感嘆します。ところがですが、我が家に吹き溜まる枯葉を美しいとは思いません。
   その結果、落ち葉は肥料にされるかゴミに出されることになります。こうなれば、落ち葉はもう厄介
  者です。

   このように、あるものを美しいと思いながらも、同じものであっても状況が変われば厄介者と思うこ
  とがあり、ずいぶんと違いが生じてしまいます。このように考えると、人の都合によって美や価値が決
  められることもあるといえるのかもしれません。

  美の曖昧さと自然
   ともあれ、美しいとか、有用といった基準は人が決めます。自然やモノがそのように主張しているわ
  けではありません。

   次に、モノ(無生物)に対しての美や価値の曖昧さを感じることもあります。例えば、宝石です。宝
  石は文字のどおり宝の石です。でも、石は石で、河原にある石の仲間です。

   たとえば、ダイヤモンドですが、テレビの番組で「ピンク色のダイヤモンドが何十億円する」という
  のです。炭とダイヤモンドは性質こそ違いますが、組成は同じです。書で使う墨や燃料の炭も炭素から
  できています。それらの炭素が途方もない力を加えられると、炭素は一定の間隔で行儀よく並びます。
  整然と並んだ炭素がダイヤモンドです。

   私は、ダイヤモンドとガラスの塊との違いはわかりません。見るときれいですが、自然美のような感
  動はしません。これは恐らく、ダイヤモンドの本当の美しさを知らないからなのだと思います。なぜな
  ら、そのような高価なダイヤモンドに触れることはもちろん、見る機会だってないのですから。

   そのような私でも、ダイヤモンドに惹かれないわけではありません。ですが、「石は石だ、河原にあ
  る石の仲間だ」と乱暴に述べましたので、矛盾が生じています。

   その矛盾の要因は、ダイヤモンドの本当の美を知らないけれど、あれば邪魔にはしないからです。つ
  まり、落ち葉のように邪険にはしません。ということは、私はダイヤモンドの美しさではなく、例えば、
  何千万円という価値付けに魅せられているということになりそうです。つまり、人と人との間で決めら
  れた価値に左右されているのです。同様に、絵画や美術品にもこのことが当てはまります。例えば、あ
  る画家の作品を見ても心に響かないことがあります。ですが、何千万円の価値ある作品だと聞けば、「
  えっそうなの」と、そこで私がその価値付けに合わせてしまいます。つまり、作品の美ではなく、お金
  に換算された価値付けによる美意識(?)ということになってしまいます。

   これまで述べてきたように、自然という大きな括りで見てみると、自然の中で一番厄介なのが人間と
  いえるのかもしれません。

   夕日の美しさなど、自然がもっている美しさはお金には換算できません。モノや生き物を所有すると
  なると、美に関わらない人間の欲求そのものが作用することもあり、また、有用意識も働く場合もある
  ので、美とはいえ曖昧さを内包しているといえるかもしれません。

   幼児や小学1年生段階までは、自分が見つけた色のついた石や貝、野に咲く花や草、身近にあるモノ
  の中から、お気に入りを見つけ宝物のように思うことがあります。その宝物を大切そうにプレゼントし
  てくれることもあります。そのような場面では、せめて、その子が思う宝物を受け止める心だけは失い
  たくないと思っています。

   自然と人間、自然と文明とのかかわりにも課題はあります。近年、美容整形が娘の誕生プレゼントに
  なっている国もあると聞きます。美容整形は、美への憧れとそれから付随する有利さや優位さ求める欲
  求ともいわれ、今後もさらに拡大するかもしれません。

   人間の究極的な欲求である不老不死や錬金術は化学の祖といわれています。文明の進展は、既に培養
  液の中でクローン人間をつくることができます。今後は、人間の臓器も再生できるようになり、定期点
  検で部品交換のようにして再生される日は目前です。そしてついには、脳に蓄積された情報も一時保管
  され、それまでの情報を失うことなく同一人物が再生されるようになるでしょう。死なない(死ねない)
  人間の誕生(?)の時代がきます。何が自然で何が美なのか、人間と文明、自然概念が変わるかもしれ
  ません。

   11月3日(金)・5日(日)は、芸術・文化の祭典である美幌町文化祭が予定され、関係参加団体
  のパフォーマンスや作品展示が行われます。

   自然、美、科学について考えるにしても、生活(時間的、経済的)にゆとりがなければ、考えること
  は難しいと思われます。そのような大そうなことを考えなくても、その道の達人、専門家の話を聞き、
  それらの知識や技術を学び活用して、身近な生活の中に、美・芸術・健康(美容)・生活や仕事に有益
  な事柄を取り込めたら素敵だなと思います。

  まちゼミと図書館とのコラボレーション
   現在、「まちゼミ」としてそれぞれ、ゼミを開設している店舗や施設ごとに複数の開設期日を決めて
  実施しています。図書館では、開設されている20のゼミの内容に関連している本を選び、ブックリス
  トを作成するとともに、図書館にコーナーを設けて関連本の展示と貸し出しを行っています。「まちゼ
  ミ」の旗が目印です。ブックリストは各ゼミと図書館にあります。皆様のご来館をお待ちいたしており
  ます。

  期間:平成29年10月19日(木)〜11月26日(日)
  図書館1階 フロアーにおいて開催中!

*館長から一言*

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