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美幌町は、網走川と美幌川に挟まれた場所に位置しています。
町内には、その他にも大小数多くの川が流れ、人々の暮らしは、太古より川とともにありました。
屈斜路湖は、30万年前から7千年前までの間に、度重なる噴火を起こした火山によってできたカルデラ湖です。
カルデラ湖としては、日本最大で、その噴火は美幌の地質に影響を与えました。
多くの川が流れる美幌は、太古の人々にとって暮らしやすい環境だったようです。彼らの生活の痕跡である遺跡は、1万数千年前の旧石器時代までさかのぼることができ、その数は130カ所にものぼります。
遺跡からは様々な種類の土器や石器も出土しています。
アイヌの伝統的な家であるチセの中を見てみましょう。土間には、川漁の一つであるウライに使う網が見られます。
部屋の中央には囲炉裏が置かれ、ガマの葉で編まれたキナと呼ばれるゴザが敷いてあります。部屋の奥には宝物置き場があり、交易などで手に入れた様々な漆器が置かれています。
北海道東部に位置する美幌は、総面積の6割以上が森林で、網走川とその最大の支流 美幌川を有する自然豊かな町です。
初夏、草木が芽吹き、様々な生きものが躍動する季節。動物たちは、恋や子育てに大忙し。木の上では、パートナーを求める小鳥のさえずりの声が聞こえてきます。
また、キツネは子どもを見守りながら狩りをし、夜の森では、シマフクロウがひな鳥のために魚を捕まえています。
一方、冬になると、ヒグマやシマリスは土の中で冬眠し、温かい春の訪れを待つのです。
幕末期の1858(安政5)年、探検家 松浦武四郎が蝦夷地(現在の北海道)を探検・調査した際、美幌の地を訪れました。
彼が記した記録には、浅瀬で急流の網走川を徒渉したり、集落の家主から生活の様子を聞いたり、河原で宿泊してキツネやサケを捕まえて食べたりといった、人々の暮らしや自然の様子などが、細かく記されています。
明治20(1887)年に美幌外五ケ村戸長役場が設置されると、開拓のために本州から移住する人々が増えてきました。
彼らは初めに、雨風をしのぐための着手小屋と呼ばれる簡素な家を作りました。そして、うっそうとした原生林を切り開き、畑を作っていったのです。大きな切り株が残る畑では、馬がそれを避けるようにしながら、土を起こしていきました。